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業界動向
【2002/11/15】 獅子山前漢楚王墓附近より196体の兵馬俑出土
新華網が今月11日伝えたところによると、江蘇省徐州にある獅子山楚王墓に程近い場所(獅子山の北約200m、羊鬼山の東約100mの地点)から新たな前漢期の兵馬俑坑が発見され、「髮髻俑」「平頂盔俑」を含む196基の兵馬俑が出土したという。
獅子山兵馬俑坑群
獅子山兵馬俑坑群周辺地図
(拠『文物』1986-12「簡報」)

獅子山楚王墓附近からは、1984年末以来、都合約2000体の兵馬俑が出土しているが、徐州博物館「徐州獅子山兵馬俑坑第一次發掘簡報」(『文物』1986-12)によれば、今回出土している「髮髻俑」(IV型)の出土例は、これまで1号坑(H1)から出土した僅か5体を数えるのみという。(「平頂盔俑」(II型)は1・2号坑(H1・H2)を主体に多数出土している。)

この新出の兵馬俑坑の規模は、全長3.5m、幅2.1m、深さ3mで、出土した兵俑は高さが約43cm。全て西の羊鬼山の方向を向いて並べられ、保存状態も比較的良好らしく、衣服や頭部の一部に朱い顔料が残っているとのこと。

獅子山楚王墓は、(1)出土銭が全て半両銭で、武帝元狩五年(BC118)に鋳造された五銖銭が一枚も発見されていないこと、(2)「楚侯之印」「楚都尉印」等、楚国の官印が多数出土していること、(3)目下発見されている前漢楚王墓中、最大の規模を持つことなどから、二代目の夷王・劉郢客(えいかく)か、三代目の王・劉戊(呉楚七国の乱で漢に背いたので諡が無い)の墓ではないかとされている。前漢楚国初代の元王・劉交(*楚王山漢墓の墓主と目される)は高祖・劉邦の異母弟で、「魯詩」(前漢時に行われた『詩経』の一学派)の開祖・申培(しんばい)と共に荀子の弟子の浮邱伯(ふきゅうはく)に師事したことで知られ、自ら『元王詩』なる詩伝(『詩経』の解説)を作ったという。二代目の郢客もまた『詩』に長じ、呂后の時に長安で浮邱伯に師事した。因みに獅子山楚王墓から文献の如き竹簡や帛書は発見されていない。今回出土した兵馬俑坑は、獅子山楚王墓墓主の后の墓の位置を示唆するものではないかとの見解もあり、今後の動向も注視したいところ。
■参考資料
『漢書』楚元王傳・諸侯王表・王子侯表上・百官公卿表下
・徐州博物館「徐州獅子山兵馬俑坑第一次發掘簡報」(『文物』1986-12)
  ※楚王兵馬俑坑群の発掘報告。出土した各種兵馬俑の写真・模写有。
・獅子山楚王陵考古發掘隊「徐州獅子山西漢楚王陵發掘簡報」(『文物』1998-8)
・王愷「獅子山楚王陵出土印章和封泥對研究西漢楚國建制及封域的意義」(同上)
・梁勇「從西漢楚王墓的建築結構看楚王墓的排列順序」(『文物』2001-10)
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【2002/7/23】 呉楚七国の乱の楚王戊の鉄甲が復元完了
「呉楚七国の乱」で漢に反旗を翻した楚王劉戊(高祖の異母弟・楚元王劉交の孫)の墓と推定されている、江蘇省徐州獅子山楚王墓より出土した「玄甲」(すなわち鉄甲)のうち、「小魚鱗甲」と呼ばれる、全長1.2m・重さ15kgの小型の鉄甲がこのほど復元されたという。これで同墓より発見された四種の鉄甲と金縷玉衣は全て復元作業を終えたことになる。この「玄甲」は、皮革で裏打ちされた3000枚余の大小の鉄片を麻紐でつなぎ合わせたもので、玄甲の前後についている「摆裙」(日本の甲冑でいう「草摺(くすずり)」)は伸縮可能であるという。(※獅子山楚王墓については、『文物』1998-8を参照。金縷玉衣については同号にモノクロ写真を附している。)
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