今月24日、京都朋友書店が昨年末刊行されたばかりの『上海博物館藏戰國楚竹書〔二〕』(上海古籍出版社刊。以下、『上博竹書』と略記する)を届けて下さった。折角、早々に内容を閲覧することができたので、この場を借りて、その極々一部を簡単に紹介しようと思う。(*驚くべきことに、大陸の簡帛研究網では、昨年末に『上博竹書』が刊行されてから僅か一ヶ月もの間に、既に40本以上の論考や札記が惜しげもなく上網されている。)
■《容成氏》の古帝王
【容成氏・第1簡原文】
膚是・茖疋是・喬結是・倉頡是・軒緩是・戎是・椲h是・是之又天下也、皆不受亓子而受、亓悳酋清、而上下、而一亓志、而寝亓兵、而官亓才。 |
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上に掲げたのは上海博楚簡《容成氏》第1簡(p250)の原文である。書き写した年代が古いものほど、オリジナルにより近い原文が得られると考える方も或いはおられるかも知れないが、実際は古いものほど俗字や通仮字・繁文・省文などによる表記揺れは多くなる。それでも文字の表記揺れには特定のパターンが幾つかあって、例えば上記の「是」と「氏」、「又」と「有」、「亓」と「其」などは相互に通用して用いられた。これを『上博竹書』の《容成氏》部分の執筆を担当している李零氏の釈文を参考にしながら幾らか読みやすくしてみよう。
【容成氏・第1簡釈文】
盧氏・赫胥氏・高辛氏・倉頡氏・軒轅氏・神農氏・渾沌氏・伏羲氏之有天下也、皆不授其子而授賢、其徳酋清、而上愛下、而一其志、而寝其兵、而官其材。
(〔昔者(むかし)容成氏・■■氏・■■氏…■■氏、尊〕盧氏・茖疋氏(赫胥氏)・喬結氏(高辛氏)・倉頡氏・軒緩氏(軒轅氏)・戎氏(神農氏)・椲h氏(渾沌氏)・氏(伏羲氏)の天下を有(たも)つや、皆な其の子に授けずして賢に授け、其の徳は酋清、而して上の下を愛し、而して其の志を一にし、而して其の兵と寝ね、而して其の材あるを官せり。) |
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見ての通り、この一文は太古の古帝王の名を列挙し、その功徳を顕彰したものである。今後この《容成氏》は中国古帝王伝説の形成過程を窺う上で貴重な資料となるはずである。猶、伝承文献中では《莊子・外篇・胠篋》の次の一文と非常によく似ており、両者の相関関係も今後の注目点のひとつとなろう。(*李零氏はこのほかに《六韜・大明》の佚文を類例として挙げている。)
【莊子・外篇・胠篋】
昔者容成氏・大庭氏・伯皇氏・中央氏・栗陸氏・驪畜氏・軒轅氏・赫胥氏・尊盧氏・祝融氏・伏犧氏・神農氏、當是時也、民結繩而用之、甘其食、美其服、樂其俗、安其居。 |
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赤字で示した古帝王が上海博楚簡《容成氏》と重複する古帝王で、「軒緩是」が「軒轅氏」、「茖疋是」が「赫胥氏」、「■膚是」が「尊盧氏」、「戎是」が「神農氏」とされている。猶、《容成氏》は、第53簡の背面に「訟城氐」という篇題が記されており、李零氏はこれに第1簡簡頭「尊盧氏」の「膚是」の断絶部分も加味して、この前に「昔者訟成是・■■是・■■是・■■是・■■是・■■是・■■是・■■是・■■是・■■是・■■是・■■是・■■是・尊」と記された竹簡が脱落しているのではないかと推察している。因みに「椲h是」は「渾沌氏」、「喬結是」は「高辛氏」、「是」は「伏羲氏」ではないかとする説が既に廖名春氏(「讀上博簡《容成氏》札記(一)」→簡帛研究)によって提示されている。因みに廖氏は李零氏の補簡説を是としつつ、具体的な古帝王名の充当を試みている。
案:说是。"容成氏"後可补"大庭氏、伯皇氏、中央氏、栗陆氏、骊畜氏、祝融氏、昊英氏、有巢氏、葛天氏、阴康氏、朱襄氏、无怀氏"。其中"大庭"、"柏皇"、"中央"、"栗陆"、"骊畜"、"祝融"六氏据《庄子·胠篋》补。"昊英"、"有巢"、"葛天"、"阴康"、"朱襄"、"无怀"六氏据《汉书·古今人表》、《六韬》佚文《大明》篇、《帝王世纪》补。
■《容成氏》における禹の九州説
【容成氏・第24-2簡原文】
禹親執枌耜、以波明者之澤、決九河之〓、於是虖夾州・〓州〓可凥。 |
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上に掲げたのは上海博楚簡《容成氏》第1簡(p250)の原文である。書き写した年代が古いものほど、オリジナルにより近い原文が得られると考える方も或いはおられるかも知れないが、実際は古いものほど俗字や通仮字による表記揺れは多くなる。それでも文字の表記揺れには特定のパターンが幾つかあって、例えば上記の「是」と「氏」、「又」と「有」、「亓」と「其」などは相互に通用して用いられた。これを『上博竹書』の《容成氏》部分の執筆を担当している李零氏の釈文を参考にしながら幾らか読みやすくしてみよう。
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