・ 遣唐使 井真成墓誌概要

西安 西北大学、遣唐使「井眞成」(699~734)の墓誌を発表

10/10、陝西省西安の西北大学が、阿倍仲麻呂や吉備真備らと同じ養老元年(717。中国では玄宗の開元五年にあたる)の遣唐使の一人とおぼしき日本人の墓誌を入手したと発表した。発表された墓誌は、34.5cm四方の石板に12行171字の墓誌銘が刻まれており、墓誌にはこの井真成が開元二十四年(736)に36歳で亡くなり、同年2月4日に「万年県」(長安南郊)に埋葬されたとある。(ちなみに西北大学の入手前、この墓誌は西安市内の工事現場で発見されたという。工事現場の場所は未詳。)

なお阿倍仲麻呂が「朝衡」という中国名を名乗っていたことからも「井眞成」が本名であるかどうかは不明。井真成が追贈された「尚衣奉御」の官は、『大唐六典』によれば殿中省尚衣局の長官で天子の衣服を掌る従五品の官とされる。比較的ビッグネームでは則天武后の甥の武承嗣がこの官に就いている。

[情報筋(日本語)] [詳細情報+写真(中国語)]

・ 井真成墓誌

原文

贈尚衣奉御井公墓誌文并序
公姓井字眞成國號日本才稱天縱故能
■命遠邦馳騁上國蹈禮樂襲衣冠束帶
■朝難與儔矣豈圖強學不倦聞道未終
■遇移舟隙逢奔駟以開元廿二年正月
■日乃終于官弟春秋卅六皇上
■傷追崇有典詔贈尚衣奉御葬令官
■卽以其年二月四日窆于萬年縣滻水
■原禮也嗚呼素車曉引丹旐行哀嗟遠
■兮頹暮日指窮郊兮悲夜臺其辭曰
■乃天常哀茲遠方形旣埋于異土魂庶
歸于故鄕

( "■" は判読不能字。)

訓読文 (秋山 試読)

贈 尚衣奉御 井公 墓志文 并序

公 姓は井、字は眞成、國號は日本。才は天縱に稱(かな)ひ、故に能(よ)く命を遠邦に■し、騁を上國に馳せり。禮樂を蹈(ふ)み衣冠を襲ひ、束帶して朝に■すること、與(とも)に儔(なら)び難し。豈に圖(はか)らんや、學に強(つと)めて倦(おこた)らず、道を聞くこと未だ終へずして、■ 移舟に遇ひ、隙 奔駟に逢へり。開元廿二年正月■日を以て、乃ち官弟【=官第。官邸・官舎の意】に終へり。春秋卅六。皇上 ■傷して、追崇するに典有り。詔して尚衣奉御を贈り、葬むるに官をして■せしめ、卽(すなは)ち其の年の二月四日を以て萬年縣の滻水■原に窆(はうむ)るは禮なり。

嗚呼(ああ)、素車 曉に引きて丹旐 哀を行ふ。遠■を嗟(なげ)きて暮日に頹(たお)れ、窮郊に指(およ)びて夜臺に悲む。

其の辭に曰く、
(そ)の天の常を■し、茲(こ)の遠方なるを哀しむ。形【=その身】は旣に異土に埋むれども、魂は故鄉に歸らんことを庶(ねが)ふ、と。