楽游原漢墓概要
楽游原漢墓の構造と墓葬時期
先月(2004年11月)20日、西安市文物保護考古研究所が西安南郊の楽游原で前漢の壁画墓を発見したと発表した。この楽游原漢墓は、墓道(北側幅4.7m、南側入口の幅1.3m、南北27.6m、入口~最深部の深さ10.8m)・東耳室(幅0.9m、奥行き1.25m、高さ0.92m)・西耳室(幅0.9m、奥行き3.2m、高さ0.92m)・甬道・墓室(東西幅7.6m、南北奥行き10.2m)という、前漢墓らしい側室の比較的少ない単純な構造になっている。墓室の中には磚室(南北4.6m、東西2.1m、高さ2.1m)と呼ばれる部屋が中央にあって、ここに墓主の棺が安置されている。ここから五銖銭が出土しているとのことで、この時点で墓葬時期が武帝の元狩五年(前118)以降であることが判る。墓主に関する詳細は判っていないが、やはり磚室から銅印(印文未詳)が出土しているという。『漢書』百官公卿表上によれば、秩比二百石以上、比二千石未満が銅印を佩びることになっているが、これはあくまで在任中の官僚の印の規定であって、必ずしもこのケースに当てはまるとは言い切れない。